Aegean Regionの最近の調査レポート
火曜は街全体が市場に 都市部の人口 48,565人(2007年)
市役所横のメインストリートにも露店が並ぶ火曜市の様子 Salı Pazarı
イズミール県の南東部、ティレ郡の中心都市。県都イズミールからは約100㎞内陸に位置し、紀元前からの長い歴史を有する。
バザールは町の中心部に面的な広がりをみせ、メインストリートとなる大通りの他、大通りに並行する複数の街路から構成されている。幅の狭い街路は歩行者専用のものも多く、街路には商品が張り出している。大通りから幅の狭い街路に至るまで、火曜日は町全体が露店で埋めつくされ、賑やかな市場空間へと変貌する。商品は野菜、魚、香辛料、日用雑貨、衣料品、靴など、露店だけでなく、バザール内の常設店舗も商品を店の前に並べ、充実した品揃えとなる。
バザール内には歴史建造物として、モスク、ハマム、ベデステンと複数のハンが点在している。ベデステンはブルサやエディルネに残るものと同じ空間形態をとり、小ドームの連なりによる大きなホール空間と壁際に連続する小部屋の連なりから構成されている。15世紀に建造されたもので、オスマン帝国時代、初期のベデステンである。ハンはすべてが現在も使用している訳ではなく、2006年の調査時は屋根に草が生い茂り、廃墟と化しているもの、一部を店舗や工房、倉庫として使用しているもの等がみられた。
ベデステンはバザールのほぼ南端に位置する。ベデステンの東側から北に向かって延びる通りはウズン・チャルシュUzun Çarşı(長い商店街の意)という名がついた通りで、通りの両側に低層の店舗群が連なる。ウズン・チャルシュの南端にアリ・エフェ・ハンAli Efe Hanıの入り口が面する。ウズン・チャルシュの北端には広場があり、広場周辺にはモスク、ハン、ハマムが配置され、ハマムは修復された後、店舗として再利用されている。
バザールの半分近くが歩行者専有街路であり、火曜日の露天市の際はメインストリートも車を通行止めにし、町全体が市場空間へと変貌する。火曜市の露店数は約1000軒。周辺の村々からも生産物の販売に多くの人が訪れ、女性による自家製チーズの販売エリアなど、通りによっては特徴的なエリアもみられる。
Türkçe
ウシャク Uşak 都市部の人口 172,709人(2007年) 中心部の広場。Merkez 市役所とウル・ジャミィに囲まれている。写真左奥の塔はブルマ・ジャミィのミナレット
ウシャクは紀元前から長い歴史を有し、エーゲ海地域と中央アナトリア地域を結ぶ街道沿いに位置する。1953年からウシャク県の県都として発展している。中心部には、ウル・ジャミィUlu Camiやブルマ・ジャミィBurma Camii、カラ・アリ・ジャミィKara Ali Camiiといった宗教施設の他、ベデステン、アラスタ、ハンなどの歴史的な商業施設を中心とするバザールが広がっている。
ベデステンBedesten(1901-1904)はイタリア人建築家によって建設されたもので、1987年に修復。吹き抜けを取り囲む形式で1階に貴金属の店舗、2階はオフィスとして使用されている。アラスタArastaはウル・ジャミィの西側に2つ並び、19世紀末から20世紀初頭にかけて建設されたようである。アラスタの北側にかつてのパシャ・ハンPaşa Hanı (1898)があり、20世紀末に修復されてからはホテルとして営業している。フランス人建築家によって建設されたものである。ブルマ・ジャミィの北側にはハジュ・ゲディク・ハンHacı Gedik Hanı (1891-1892)があり、今後修復される予定である。ブルマ・ジャミィの東側に小さな店舗群が連なるエリアがある。衣類や靴屋などが並ぶ。
ウシャクには複数の露天市がある。中心の市場はバザールの東側に隣接した規模の大きな市場施設であり、内部は野菜中心の食料品エリア、衣類エリア、チーズ・オリーブエリアに分かれている。さらに魚市場が別棟で建つ。水曜に市が立つが、他の曜日も数件の店が営業している。
Türkçe
ベルガマ Bergama 都市部の人口58,212(2007年)
遺跡から街を眺める Aklopolu'dan, Bergama
急斜面に建設された劇場 Tiyatro ve Tiyatro terası, Bergama
ベルガマは紀元前3世紀にペルガモン王国の中心地となり、繁栄してきた都市である。イズミール県北部、イズミール中心部から約100㎞、エーゲ海から東へ30㎞内陸に位置し、ヘレニズム時代の遺構が残る。町の北側の山にアクロポリスAkropolがあり、神殿や20万冊の蔵書を有していたという図書館、急斜面に建設された劇場等が部分的に残り、修復、公開されている。ゼウスの祭壇は、遠く離れたドイツのベルリンにあるペルガモン博物館Pergamon Museumで保存、展示されている。また、町の西側にかつての医療施設、アスクレピオンAsklepionが残っている。
町はアクロポリスの南側に広がる。歴史的な商業エリア、バザールはアラスタArastaと呼ばれ、16-17世紀建造のベデステンBedestenや14-15世紀建造のものと考えられているチュクル・ハンÇukur Han、1432年建造のタシュ・ハンTaş Han、1930年建造の屋根付き市場 Kapalı Çarşıといった商業施設の他、低層の小売店舗や工房、複数のモスクやハマムがある。通常、アラスタは1つの商業施設や1列の商店街を示すことが多いが、ベルガマのアラスタは面的な広がりをもつバザール全体を指している。
このアラスタ全体の修復プロジェクトが近年進められており、2007年には店舗群のファサード修復や街路、広場等の路面整備が行わられている。歴史的建造物の保存だけでなく、ハジュ・ヘキム・モスクHacı Hekim Camiiの横のオープンスペースに女性専用の手工芸品を売るエリアÜretici Hanımlar Pazarıをベルガマ市役所が整備し、空間の再活用を試みている。ここは1995年の調査時、女性たちが自家製のチーズなどを売っていた場所である。
現在の町の中心はアラスタの東側に接し、南北に貫通する大通りである。通りには銀行や商店の他、モスク、博物館などが並び、賑わいをみせている。露天市は、かつて町の中心で開催されていたが、2008年の調査時には町の東端の露天市専用エリアに移転しており、2009年8月の調査では露天市専用エリアも引き続き月曜市には活用するものの、土曜市に関しては街中の住宅街での開催に変更になっていた。露天市専用エリアは屋根と陳列台が用意されており、スペースも広く快適であるが、街中で暮らす住民にとっては交通の便が悪く、気軽に歩いて買い物のできる中心部へ移転となったようである。土曜市は住宅街の街路にテントを張る形式で、商品としては野菜などの食料品から衣類、雑貨まで幅広く売られている。
バザール。ベデステンと店舗群 Bedesten ve Çarşı, Bergama
Türkçe
切り立った岩山が町を見守る
城塞から街を見下ろす Kale'den, Afyonkarahisar
アフヨンカラヒサール県の県都。標高1021m。エーゲ海沿岸地域、内陸部に位置する。東西、南北を結ぶ街道が交差し、交易の拠点と機能してきた。
都市部の人口159,967人(2007年)。
都市名のアフヨンAfyonはアヘン、カラkaraは黒、ヒサールhisarは要塞という意味であり、バザール背後に切り立った岩山がそびえ、その山頂には城塞が残っている。紀元前、ヒッタイト時代から要塞の役目を担い、ローマ、ビザンツ、セルチュク、オスマンの各時代も城塞の呼び名はHapanuva, Akroinon, Karahisarと変わりながら、城壁内に礼拝所(ビザンツ時代はキリスト教、セルチュク時代はイスラーム教)や貯水槽を築き、機能してきた。岩山の山頂、城塞へ登るための町からの入口にモスク、ウル・ジャミィUlu Camii(1272-77年造)がある。内部は木製の装飾が施された天井とともに木製の円柱が並び、木立の中にいるような落ち着いた礼拝空間を形成している。
バザールは城塞の東側のベデステンBedestenとタシュハンTaşhanを中心に広がりをみせている。17世紀に建造されたタシュハンの南側に20世紀初頭に建設されたベデステンが位置する。ベデステンは他の都市のベデステンとは空間形態が異なり、屋根のかかった通りの複合体となっている。タシュハンは名前のタシュTaş(石の意味)が示す通り石造で、中庭型の2階建てである。今後、修復保存される予定であるため、入口の工房のみが使用されており、タシュハン外壁と背中合わせであった店舗群はタシュハン修復のために取り壊され、空地となっていた(2009年3月調査時)。ベデステンとその周辺には布製品の店が多く集まり、西側の一画は肉屋、北側は金物関係の工房や靴屋が集中している。
バザール内にも複数のモスクがあるが、歴史建造物として、バザールの東側に位置する15世紀建造の複合施設、ゲディック・アフメット・パシャ・キュリイェGedik Ahmet Paşa Külliyesiは見どころである。モスク、ハマム、神学校から構成されており、モスクは2つのドームによって礼拝空間が作られている。ハマムはこの他に数か所、歴史的なものが残っており、ウル・ジャミィに程近いミレット・ハマムMillet Hamamıは17世紀に建造されたものである。20世紀初頭に火事に見舞われ、1955年に修復、さらに近年、手が加わり、地区の文化施設として活用されている。
定期市は市内数か所で開催されている。城塞西側裏手では日曜に市が立ち、野菜から乾物、衣類、日用雑貨まで多様な商品が並ぶ。
城塞からバザール中心部を見下ろす Çarşı, Afyonkarahisar
バザール Çarşı, Afyonkarahisar
Türkçe
キュタフヤ Kütahya 都市部の人口212,934人(2007年)紀元前から歴史を有する町であり、現在はタイルと陶器の町として知られている。町の西側の高台にビザンツ時代の城塞跡があり、現在は展望台から町を見下ろすことができる。
城塞足元の東側に位置するバザールには、2つのベデステンが残っている。2008年調査時は2つとも修復工事中であり、今後、再活用される予定となっていた。2つのベデステンのうち、南側に位置するクチュック・ベデステン(小さなベデステンの意)は14世紀建造のもので、北側のブユック・ベデステン(大きなベデステンの意)は15世紀に建造されたものである。2つのベデステンの間は靴の販売・工房エリアとなっており、クチュック・ベデステンの東及び南側にL字型に金製品のエリアが広がる。クチュック・ベデステンの南側にピリンチ・ハンがあり、ハンとその南側が布製品エリアである。ハンの西側の大通りを挟んだ一画が金物関係の工房エリアとなっており、その奥の南側に15世紀建造のウル・ジャミィが位置している。
ウル・ジャミィから南に延びる大通りが現在のメインストリートで、歩行者占有空間として整備されている。このメインストリートのさらに南東部に水曜市が立つ。キュタフヤでは複数の定期市があり、この水曜市は規模が大きく、中心的な市場である。屋根付きの施設の1階に魚屋が入り、2階部分に野菜や果物の店が並ぶ。周辺の街路では衣類や日用雑貨、周辺の村から持参された野菜などが売られている。
水曜市以外に都市中心部の定期市として、城塞の西側の高台ギュルテペGültepeでは木曜市が、バスターミナルの近くでは金曜市が、住宅街のファーティヒ地区では木曜市が開催されている。いずれも食料品から衣類、日用雑貨まで多様な商品が売られており、賑わいをみせている。ファーティヒ地区の木曜市は水曜市同様に2階建ての市場施設が建設されており、施設内に魚、チーズ、オリーブの店が入り、施設の外に野菜等の露店が並ぶ。施設内は階段だけでなくスロープも設置され、バリアフリーの配慮がなされている。
イズミール İzmir
港前のコナック広場 Konak Meydanı, İzmir
都市部の人口3,175,133人(2007年)
エーゲ海沿岸、イズミール県の県都イズミールはトルコで3番目に大きな都市であり、国際的な港町である。紀元前からの長い歴史を有し、17世紀には東地中海の重要な港としてフランスやヴェネチアからも船が出入りし、商業都市としてさらなる発展を遂げている。ヨーロッパからの海の玄関であり、シルクロードを通じてアジアへとつながる重要な拠点としての役割を担い、バザールの規模も大きく、ハンの数も多い。
港に面するコナック広場Konak Meydanıの東側にバザールの入口がある。バザールはケメルアルトKemeraltıと呼ばれ、半円形にカーブしながら延びるアナファルタラル通りAnafartalar Cad.を中心に面的な広がりを見せている。アナファルタラル通りからハンやモスク、その周辺の小広場をたどりながら入り組んだ横道へ入り込むと、それぞれの通りやエリアによって貴金属、木工芸、衣類など、扱う商品が異なり、店舗や工房、倉庫が並んでいる。衣類の場合、Tシャツなどの普段着とウェディングドレスはエリアが離れており、普段着の店はコナック広場に近いアナファルタラル通り沿いにあり、店員が通りに出て商品片手に呼び込みをし、活気に溢れている。魚や野菜などの生鮮品や乾物、お菓子など食材の並ぶ通りもある。また、刃物や鳥かごの店など専門性の高い店も多い。
バザール全体の構成としては通りの複合体で出来上がっており、通りに屋根は付いておらず、ほとんどが歩行者専有空間となっている。高密度に間口の狭い店舗が軒を連ね、地元の買い物客だけでなく、観光客も訪れ賑わいをみせている。
ハンは歴史的なものだけでなく、近代的な複合商業施設となっているものもある。歴史的なハンには、チャカルオウル・ハンÇakaloğlu Hanı(18世紀)、クズラルアウス・ハン Kızlarağası Hanı(18世紀)、アバジュオウル・ハンAbacıoğlu Hanıなどがあり、クズラルアウス・ハンは、中庭を囲む2階建てで規模も大きく、ハンの北側には隣接してバクル・ベデステンBakır Bedesteniと呼ばれる店舗群がハンと一体化している。このハンは1988年から1993年にかけて修復工事がなされ、1994年から手工芸品やアンティーク、本、土産物などを扱う店が入り、再活用されている。中庭やハンの南側にはチャイハネが並ぶ。
クズラルアウス・ハンの東側にヒサール・モスクHisar Camii(1597年)が隣接する。モスクの前は広場になっており、宗教関連の店やレストランが並び、クズラルアウス・ハンとともにバザールの北側部分のシンボルとなっている。この他にバザール内には、シャドゥルバン・モスクŞadırvan Camii(17世紀)、ケスターネ・パザル・モスクKestane Pazarı Camii(17世紀)、バシュドラック・モスクBaşdurak Camii (17世紀), ケメルアルト・モスクKemeraltı Camii(17世紀) 、サレプチオウル・モスクSalepçioğlu Camii(1906年)があり、前半の3つのモスクに関しては、1階部分が店舗でモスク自体は2階にあり、高密度な空間利用となっている。
バザールと港を結ぶコナック広場には、コナック・モスクKonak Camii (18世紀)、時計台Saat Kulesi (1901年) があり、周囲には行政施設が並ぶ。噴水や植栽、ベンチなどが整備され、夕暮れ時は海に沈む夕日を眺めることができる。この広場と船着場の間には大通りが海に沿って南北に縦断しているが、車道を広場の下を通るように立体交差させ、海岸沿いの通りまで連続的な歩行者空間を形成している。