Marmara sea Regionの最近の調査レポート

イスタンブル İstanbul

istanbul01.JPG
エミノニュ。エジプト市場前の船着き場。Eminönü

都市部の人口 13,710,512人(2012年)

イスタンブルの街は、マルマラ海と黒海をつなぐボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがっている。ビュザンティオンByzantion、コンスタンティノポリスKonstantinopolis、イスタンブルİstanbulと名を変えながら、それぞれの時代の中心都市として発展してきた。交易の要衝であり、人やモノ、文化の交流もあり、時代と共に多様な文化が積層してきた街である。

ヨーロッパ側は、マルマラ海と金角湾に囲まれた半島部分に歴史地区があり、半島の先端部分にトプカプ宮殿Topkapı Sarayı、アヤ・ソフィアAyasofya、スルタン・アフメット・モスク(ブルー・モスク)Sultan Ahmet Camii、ヒポドローム(競馬場跡)Hipodromといった歴史建造物が並ぶ。オスマン帝国時代の宮殿、トプカプ宮殿はかつてアクロポリスがあった高台に築かれ、高台の南西部にビザンツ時代の大聖堂アヤ・ソフィアが位置する。現在は、いずれも博物館として公開されている。アヤ・ソフィアの横を通り、路面電車が走るディワン通りDivan Yoluを西へ進むとグランド・バザール一帯にぶつかる。

グランド・バザールはトルコ語でカパル・チャルシュKapalıçarşı、屋根付き市場の意味である。2つのベデステンと16のハン、それらをつなぐ街路に屋根がかかり、屋根のかかったエリア全体が1つの商業施設としてグランド・バザールと呼ばれている。約3600軒の店舗があり、22か所のゲートによって管理されている。貴金属、絨毯、布製品、革製品といったように多様な商品が扱われ、同業種で集まってエリアを形成しており、通り名には、かつての業種名がついている。現在も業種ごとにまとまってはいるものの、土産物店も多く、混在している部分もみられる。これら店舗以外に銀行や食堂、カフェ、床屋などここで働く人にとっても必要な施設が揃っている。

グランド・バザールは歴史的な商業施設であるが、この施設だけでなく、周囲には多くのハンや店舗、工房があり、北側の金角湾へ下る斜面地一帯に商業空間が広がる。金角湾まで下りていくとエミノニュEminönüの港がある。現在、エミノニュはアジア側やボスポラス海峡沿いの町を結ぶ定期船の発着所が並び、ここでバスや路面電車へと乗り換えるターミナルの役割も果たしている。

港に面して、エジプト・バザールMısır Çarşısıがある。もともと香辛料の市場であるが、現在は、香辛料をはじめ、乾物、貴金属、土産物まで幅広く売られている。隣接するイェニ・モスクYeni Camiとともにモスクの財源として建設され、建物はL字型の平面形態で屋根のついた通りの両側に店舗が並ぶ形式である。グランド・バザールからエジプト・バザールにかけての広大なエリアは長い歴史をかけて形成されてきた重要な商業エリアであり、現在も卸問屋や工房が並ぶ活気ある商業エリアである。

istanbul03.JPG
エジプト市場 Mısır Çarşısı

istannbul 2

バルケシル BALIKESİR

1400軒の露店が並ぶ火曜市

Türkçe


balikesir01.JPG

バルケシル県の県都。都市部の人口267,903人(2012年)
バルケシル県はエーゲ海とマルマラ海に面し、古代から居住地があったエリアである。

バルケシル中心部バザールにはユルドゥルム・モスクYıldırım Camiiやザウノス・パシャ・モスクZağnos Paşa Camii(15世紀建造)、 イブラヒムベイ・モスクİbrahimbey Camii(18世紀再建後、19世紀に修復)といった宗教施設の他、19世紀建造のベデステン、巨大な螺旋状のフロア構成のショッピングセンター、大空間の中に常設の店舗が並ぶ形式の生鮮食料品市場といった商業施設がある。バザールはこれらの歴史建造物が点在する中、エリアは広域にわたり、ほとんどが近代的なビルとなっており、1階部分だけでなく複数階が店舗やオフィスとして機能している。

市内で立つ露天市は、月曜250、火曜1400、水曜180、木曜180、金曜250、土曜500、日曜450軒の露店により、毎日どこかで開催されている(2005年調査時)。
最大規模の火曜市は、2005年調査時にはバザール内の街路と魚市場、野菜・乾物市場に店が立ち並んでいた。当時、1400の内訳は約500軒が衣類、500軒が野菜等の食品、残る400軒は周辺の村で生産されたものであった。周辺の村からはトラックやトラクター、馬車で生産物を運んできたもので、生きた鶏も売られていた。2009年3月調査時には、この中心部からはずれた場所に新たな市場施設が建設され、移転している。
2010年3月時点のバルケシル市役所の公式Webサイトによると、かつて火曜市の会場となっていた市場施設の跡地に新たなショッピングセンターを建設するとのことである。

balikesir_map.jpg
バザールエリア図 Çarşı

balikesir04.JPG
中心部のバザール。かつては火曜市の開催場所ともなっていた。Çarşı

balikesir02.JPG
野菜市場 Pazar

balikesir03.JPG
火曜市。かつては中心部の街路にテントが並んでいた。Pazar

ブルサ Bursa

緑豊かな古都
bursa_merkez.jpg
ブルサ中心部バザールを城塞からみおろす

都市部の人口1,979,999人(2007年)

雄大な山を意味するUludağウル・ダー(ダーが山の意味)の北側斜面に位置する緑豊かな町として知られ、緑のブルサYeşil Bursaとも呼ばれている。

1326年にオスマン帝国最初の首都となり、初代スルタンのオスマン1世や2代目オルハンの墓、モスクやハマム、神学校など数多くの歴史建造物が修復・保存されながら、維持、活用されている。古くから商業面でも栄えていたブルサは、オスマン帝国時代に絹織物産業が盛んになり、現在でもその産地として有名である。また、ローマ時代からの温泉地としても知られており、中でもチェキルゲ地区Çekirgeにハマムや邸宅が多く建設され、発展してきたようである。

バザールはオスマン帝国の首都となった後、高台にある城塞Hisarの外、東側の低い位置に建設されている。モスク、ハン、ハマムが複数立ち並び、これらの施設を繋ぐように網目状に商店街や職人街の街路が張り巡らされ、一大商業エリアを形成している。

現在はベデステンYıldırım Bayezid Bedesteniを中心に広がりをみせるバザールであるが、14世紀、バザール建設当初はエミール・ハンEmir Hanıが中心的役割を果たしていた。エミール・ハンはウル・ジャミィUlu Camiのすぐ北側に位置する。ウル・ジャミィは1396年に建て始められ、1400年に完成。20の小ドームによって大空間がつくられ、その中央に泉が設けられている。それよりも古いモスクが、ウル・ジャミィ横の広場を挟んで東側に建つ。1339年、2代目スルタンのオルハン・ガジによって建造されたオルハン・モスクOrhan Camiiである。ベデステンはエミール・ハンの北側に位置し、14世紀末に建設され、14の小ドームからなる内部空間は金製品の市場として機能している。内部だけでなく外壁の外側にも店舗が並び、南側の一辺は靴屋街になっている。

バザールはこのほか、ゲイベ・ハンGeyve Hanı(別名Lonca Hanı協同組合のハン)、フィダン・ハンFidan Hanı(苗木のハン)、トゥズ・ハンTuz Hanı(塩のハン)、コザ・ハンKoza Hanı(繭のハン)、イペッキ・ハンİpek Hanı(絹のハン)など多くのハンが並ぶ。いずれのハンも中庭を囲み1階と2階に部屋が並ぶ形式であり、近年多くの施設が修復され、店舗やカフェなど賑やかな場として利活用されている。

これらのハンを繋ぐメインストリートとして、ウズン・チャルシュUzun Çarşıとオクチュラル・チャルシュOkçular Çarşısıがある。この2つの通りは東西にまっすぐのびる通りで、ハンのほか、通りの両側に小さな店舗が連なっている。オスマンガジ区役所Osmangazi Belediyesiによって通りの上部に透明な屋根が設けられ、通りに面する歴史建造物のファサードを見せながら、天候に左右されることなくショッピングが楽しめるようデザインされている。バザール内に点在するハマムや旧神学校も修復され、商業施設や文化施設として活用されている。

バザールからさらに東側に流れる川にウルガンドゥ橋Irgandı Köprüsüがかかっている。1442年に建造され、橋上に31軒の店舗と礼拝所が1つ並ぶものであったが、1855年の地震やその後の戦争によって大きなダメージを受け、機能しなくなってしまった。2005年に芸術家たちの橋としてオスマンガジ区役所によって再生され、橋の上に手工芸品の店舗やカフェがオープンしている。

バザールでは貴金属、布製品、工芸品、衣類や靴など幅広く商品が取り扱われているが、ブルサの場合、野菜をはじめとする食品を売るエリアもある。このほか、市内では数多くの露天市も立っている。

bursa_map.jpg
バザールエリア図 Çarşı

bursa_kozahan01.JPG
コザハンKoza Hanı(繭のハン)の中庭

bursa_kozahan02.jpg
コザハンKoza Hanıの2階の回廊

bursa_bedesten.jpg
ブルサのバザールの核となっているベデステンBedesten内観


▶ブルサ 修復・保存・活用 BURSA, Çarşı

タラクル Taraklı

Türkçe

木工芸の町

tarakli01.jpg

古代からの長い歴史を有し、ビザンツ時代は小さな城塞都市、オスマン朝期は街道沿いの宿場町としての役割を担ってきた。マルマラ地方南東部に位置し、アンカラまで270km、イスタンブルまで200km程の山に囲まれた小さな町である。人口は2,947人(2007年)。
伝統的な木造民家の修復に力を入れており、国内外からも観光客が訪れている。市役所の近くに木工のアトリエがあり、伝統的な家具の修復作業がなされている。

町は、アンカラ-イスタンブル通りを軸に中心部が構成されている。通りと通りの南側のエリアがバザール、通りの北側に市役所と土曜開催の露天市エリアがある。バザールにはユヌス・パシャ・モスク Yunus Paşa Camii (1517年造)が建っている。近年、バザールに並ぶ木造店舗群の修復や路面の整備がなされ、修復された店舗を、伝統工芸品を売る店として新たに活用している。

バザールの南西部の高台にかつての城塞Hisarがある。町を見渡せる小高い丘になっており、紀元前1000~2000年の間に作られた貯水槽の跡が2つ残っている。ここからは周辺の山々と谷に広がる家並み、タラクルの緑豊かな景観が楽しめる。
土曜市は大屋根のかかったエリアに野菜等の食料品が並び、外の広場には衣類や日用品、農具などが並ぶ。村から農産物を持参する店もあり、2008年3月の調査時はバザールの東側にあるモスクの前で農作物の種や苗木を販売していた。

tarakli_map.jpg バザールエリア図 Çarşı

tarkli02.JPG
バザール  Çarşı, Taraklı

tarakli03.jpg
土曜市 Pazar, Taraklı

▶タラクル 修復・保存・活用 民家編 Ev Restorasyonu